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ゆでカエル世代の日記

1957~66年の間に生まれた世代です。

タイムマシーンについて考える

テレビ

タイムマシーンはどういうような動き?

 SFものの映画、ドラマを見ていて、?がつくシーンはまず何かと思いつくのは、タイムマシーン、タイムトラベラーだ。時空を旅することに疑問符を付けたくなってしまう。

過去、未来からの到来はどう解釈する

 時をまたいで進んで行く。過去、未来に到着すると、ちょっとあれと首を傾げてくる。例えば、芝生の上に時空を越えてきたとする。芝生に取って、予想しなかった出来事だ。タイムトラベラーは勝手に歴史を作ってはいけないとこういう映画、ドラマには但し書きがある。芝生に取って、新たな歴史がこの時点で生まれてしまったのだ。

タイムトラベラーの到来は折り込み済み(歴史として)

 ここで、この現象をお約束として発生するのだ。芝生の上に出現することは必然性があり、すでにこの出現は歴史(折り込み済みの出来事なのだ)としてもう刻み込まれていたのでノープロブラムなのである。問題なし。この芝生Aの年表には芝生Aの上に○○年○月○日人類が乗っかると歴史に刻まれているのだ。

タイムトラベラーは予定している過去、未来は絶対に行かなければならない。

 タイムトラベラーが過去、未来に現れても、歴史上必要な出来事として組み込まれ、来なければならないことが義務となっている。到来することが絶対の掟となるのだ。来るのが当然の出来事と決めている。

タイムトラベラーは歴史をつくってはいけない

 ただし、中にはトラベラーが過去、未来にいった場合、過去、未来の自分と出会ってはならないとお約束がある。過去、未来の自分と会ったら、恣意的に歴史を塗り替えてしまう場合があるから(例として、過去、未来の自分を傷つけてしまった時)というちょっと無理なお約束を作ってしまう。

タイムトラベラーの行動は年表の中に折り込み済み

 よく考えたら、これも歴史的必然性のものと考えればいいのではないか。あれ、でも待てよ。過去の自分ではなく、過去の自分の親と遭遇し、両親の出会いが不可能にしたら(映画バック・トゥ・ザ・フューチャーは両親が一緒になることを主人公がひと肌脱いで、支援する)自分は存在しなくなってしまう。これを歴史的必然性としたら、自分は存在しないから、タイムトラベラーはできない。でも、現在は自分が存在している。あれ、おかしくなってきたぞ。

過去、未来を変えたものは退場!

 歴史を動かす出来事はできないお約束にした場合はこの時は歴史を動かそうとすると消滅する。これはいいのではないか。もし、自分がトラベラーとして過去に到来して、

両親と出会って、二人の結婚を阻止したら、ただちに自分が消滅して、現在に戻されてしまう。これがいい。そうすれば、歴史は不動となる。でも・・

芝生の立場はどうなった?

 最初の話、芝生に取っての歴史はどうなるのか?芝生の歴史を無視してしまえ。これはまずいから、現在に強制送還させる。そうすると、タイムトラベラーとして、どこにも行けなくなってしまう。

矛盾ばかりだ!

 どうしても、タイムマシーンの存在は私の思考では存在が出来なくなってしまった。

 

 では、また・・