ゆでカエル世代の日記

1957~66年の間に生まれた世代です。

高校入試、かくも戦う・・。結果、高校時代、勉学に苦しみ。最下位合格はキツイ!

 3月になって、何か変わるかというとこの年になると何も変化はない。10代の頃は1年過ぎただけで変化に富んでいる。10代の春といえば、入試だろう。

第1志望は見事に撃沈

 3月に入って、入試期間が終わり、散々な結果となってしまった。第1希望の学校は模擬試験の結果から難しいと思っていたら、見事に的中してしまった。

 試験会場のブザーが鳴り、試験開始となり、裏面にしていた国語の試験問題をめくると、天を仰いでしまった。いきなり、古文が載っている。その頃、中学の国語、古文などは習っていなく、これは範囲以外でしょと文句を叫びたくなった。まったく歯が立たなくて合格ラインなどにも届かず、落ちる。

すべり止め校の面接官でビビる!

 高校のすべり止めを確保して受けなければならない。全部落ちて、高校浪人なんて、絶対あってはならないものだった。ここはばっちり決めてと入試にチャレンジした。筆記試験は無難にいったが、面接で頭を抱えてしまった。一列縦隊で受験生を並ばして、面接を行う。ヒゲの面接官が待ちかまえていた。このヒゲがカイゼル髭で先がピンと立っている。まず、名前と中学校の名前を告げると、

 いきなり、云い始める。

うーん、君は。武道が適している。そうだ、柔道部に入りなさい

 アクの強い面接官に見えて、高校生活、こんな教師と3年間お世話になるのはちょっと躊躇する。すべり止めでも、二の足を踏む高校であった。

合格点ギリギリだったよ by担任のセンセイ

 まだ入試は続く。2月の月末でようやく終わり、後は結果待ちであった。すべり止め校の合格通知は来て、複雑な安堵感があった。ある日、担任のセンセイから呼び出され、A校は合格点ギリギリで受かったと云われた。その時のセンセイはなんと悪運の強い奴だとガンつけられた。なんだよ、全面お祝いモードではないのと云いたがったが、怖い顔つきで云われたので、怯んでしまった。

どっちへ行けばいい?

 もう一つのB高校の合格発表会場に行くと、そこで喧嘩があった。これは嫌な予感となりやしないかと思い、A校に行こうかなと思った。トーチャンはA校より学費が安いB校を蹴飛ばすことを知って、悔しがった。トーチャン、カーチャンに学校へ行って、どちらがいいか相談して来いと云われて、カーチャン、学校へ行った。その夜、学校の進学指導のセンセイのお告げを聞く。A校に行きなさいだった。理由はA校は引っぱたいても勉強させる校風なので、ナマケモノの私には適していると云ったのだ。

 だが、真相は違っていた。A校に合格した同じ学校の中学生は誰も入学しなく、進路指導のセンセイは頭を抱えていた。そして、私の存在である。カーチャンをいいくるめて、私をA校に行かせなければならない。見事に我が家は引っ掛かってしまった。

ボクはA高校へ行くよ

 A校に通うようになったのだが、合格点ギリギリだったので、授業に追いつくのが精一杯。アップアップ状態の毎日であった。入学して、初っぱなの中間テストで赤点の連打をくらい、カーチャンは学校から呼び出されて、説教された。クラス順位は見事に最下位だった。大変な3年間が待っていたのだ。

では、また・・