ゆでカエル世代の日記

1957~66年の間に生まれた世代です。

野球、小学生は三角ベースだよね!

学校から帰ったらGO!

 新学期のバタバタも落ち着いて、小坊達は よし、遊ぶぞ と気合いをいれて、外に出掛ける。まだ、ワタシの頃は小坊での塾通いはお稽古の延長で そろばん、書道、ハイカラだとピアノで勉強塾はなかった。小坊の高学年になると四谷大塚などに通い、模擬試験を受けていた女子は若干名はいたと思う。

 そんなことなどまーったく気にしないで、ランドセル(ワタシは物持ちがいいので、6年間ランドセルを使用していたが、友人達は4年坊辺りから、ランドセルはぶっ壊れて、手提げの鞄で通学していた、前に紹介した、リッチな女子は再度ランドセルを親から買って貰った。思い出した。その女の子、鳩のふんがランドセルに落ちて、もうこれはいやと言って、親に買って貰ったのだった)を家に投げ込んで、遊びに行っていた。

遊びは三角ベース

 遊ぶ種目は球技で、サッカーではなく、野球だった。人数が少ないので三角ベースだった。近くの空き地で野球(三角ベース)をする。野球をするメンバーはいつも同じだった。打順、守備位置は全部、機会均等主義でジャンケンだった。ジャンケンはメンバー、癖があり、最初がチョキの奴、グーの奴などで、パーはいなかった。ワタシはグー信仰派だったので、勝つ確率は高かった。相手がチョキだからね。

 たまにはピッチャーになったが、ノーコンだったので、友達はブーイング。(ワタシたちのローカルルールはボールカウントを取らなく、ストライクのみだった。事実上、打つまでピッチャーは投げるのだった)ボールは軟球使用だが、当たれば痛い。ワタシの打席の時に頭へ直撃をくらって以来、バットを振るとき、顔がバットの先を見ていない、逆方向に向いていた。だから、三振も多い、友人に言わすと、元々、三振バッターだと言っていた。

 自分の気に入った玉しか打たない小坊がいて、投げても投げても、バットを振らず、ピッチャーが怒ってしまい、ビーンボールを投げつけて、乱闘となり、二人とも泣きながら、小競り合いをしていた。止めにはいろうととたが、二人の勢いが凄くて、しばらく傍観者になっていた。

 もともと審判のいない三角ベースだから、アウト、セーフでは揉めたことはなく、闘争本能むき出しの小坊はいなく、まあ、いいかで三角ベースを楽しんでいた。だが、一度、転校生がやって来て、ワタシたちの三角ベースの仲間に入って、野球をした。この転校生、ではまず、先行となり、ジャンケンとなったが、自分は運動神経がいいから、三番か四番を打ちたいと宣言し、ワタシたちは顔を見合わせて、まあ、いいか と転校生の望む打順にさせた。打席に着き、強いスイングでかっ飛ばして、塁へ進む。ホームで残念ながらタッチアウトとなったが、転校生はセーフと譲らず、こちらは根負けして、セーフとした。(アウトが70%であった)それからの進行時で、イチイチ、転校生はクレームをつけて、自分の有利な方へひっくり返した。

 翌日、小学校で、転校生は昨日の三角ベースでの自分の活躍を自慢していた。

 その日も三角ベースをしたいとわれわれに言ったが、今日は雨で中止と答えた。転校生は雨が降っていないと叫いていた。

では、また・・