ゆでカエル世代の日記

1957~66年の間に生まれた世代です。

小学生の頃って運動神経抜群だけでヒーローになれた

 運動会の続きとして、

 小坊の中で人気の小坊、影響力のある小坊は運動神経抜群の彼らだ。彼らは何をやってもクラスで五本の指に入る。走る、飛ぶ、投げるなど運動神経抜群を見せつける。運動会ではヒーローとなり、栄光の小学校生活を送られる。しかし、運動神経だけだと、中学3年辺りになってくると影が出てきてしまい、学力成績のガリ勉連中の覇権も広がる。

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 運動会と華やかな競技は徒競走、リレー競争(代表だけ、強制全員など)、玉入れ、綱引き、騎馬戦などがあるが、ワタシが6年生頃、器械体操が注目を浴びて、団体行動の掟を知るため教育上よいと言われて、どんどん採用枠が増えて、メインの競技となってきた。徒競走で順番をつけてはいけない競争原理は良くないなんてたまに運動会論議になると出て来る説だか、実際、本当にあったのか、疑問である。ワタシの時は徒競走でちゃんと順位はつけられて、1位の人はノートを学校から頂くなんてことがあり、どんくさいワタシはいつも指をくわえて嫉妬していた。スクールカーストとして、徒競走は基準となる大事なものだった。足が速ければ、クラス内では発言力が増し、先生もそれなりの待遇をする。

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 ワタシの場合、スポーツは大好き、だけどその熱意ほどの運動神経はなく、やる気はあるが、結果が出せない。二軍根性丸出しであった。練習はさぼらず、こつこつとやるのだが、持って生まれたモノはなく、才能あるヤツ(運動神経抜群)がさぼってはいるけど、いざとなったら、結果を出してしまい、映画のハッピーエンドにはならずに、リアルな物語、つまりドキュメント映画の後味の悪いラストシーンになっててしまう。

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 6年坊になると課外クラブとして、週一回、5、6時間目、自分が希望する活動をしていい日があった。運動系、文化系クラブなどとして選択をする。ワタシは何も考えずに、野球クラブを希望した。クラブの開始日に希望する者は教室に集合となり、ワタシは行こうとしたが、立ち止まる。運動神経抜群の連中のみが集まっていた。それぞれの地域少年野球のキャプテン、およびリトルリーグ経験者ばかりだった。これはまずいとおもい、180度回って、何かテキトーな運動クラブはないかと模索し、卓球クラブに潜り込んだ。その当時、ピンポンと呼ばれて、華やかものではなく、地味なスポーツで運動神経が劣っていてもどうにかこうにかプレイができたのだった。

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 こうして、栄光の小学校ヒーローは成り立っていた。しかし、中学生になると・・

では、また・・