ゆでカエル世代の日記

1957~66年の間に生まれた世代です。

おーい お茶 なんて軽く声を掛けたら、地獄行きのバスに乗っていたなんて・・

 お茶でも一杯 と心にもないことを言う時って確かにある。絶対に断って来るという前提で相手に白々しく言うのも、これ、おとなの儀式と割り切る場合もある。こういう時に限って、声を掛けたら、じゃあ、行きましょうと言われて、今から、食事、飲みにでも行きますか と誘われて、慌てまくるなんてこともある。こういう場合は計算外の出来事と落胆して、ああ、早く、帰りたい とトイレに入って、一人ぼやくことはしばしば・・。顔で笑って、心で泣いてである。

 こういうパターンを繰り返すと、もうよくないと思い、軽薄に声を掛けないでいこうと思うのだか、浮き世の義理でついつい社交辞令で言ってしまうのである。あうんの呼吸でこちらは言っているのだが、額面通り、真に受けてしまう人もいるので、なかなか難しい。遠回しでは理解してくれず、直接に言わないとわからない。そんな人っているのだろうか。数パーセントかも知れないけれども、直球人生っていうのか、ずばり言わないとわかってくれない人に遭遇する。

 こういう人はまだいい。これにこじらせている性格の持ち主は厄介である。お茶でも一杯 と社交辞令で言うと、それでは、余り時間はないけど と前書きを述べて、言われたので行ってやると変なアリバイを作り、では、ちょっと世間話を となると、とうとうとおもしろくない自慢話をして 他の人に話をふれば、それを見事に防いで、また、自分の自慢話に導く。聴いていてこれはたまらんと思っても、お声を掛けたのだから、しようがないから我慢をする。一方的に話しをして、自分の話が終わったら、帰りたくなったのだろう、自分だけで帰ればいいのに、お茶の集まりを無理矢理解散させ、今度は自分の分を払うことに渋り、さすがこれは譲れない戦線だから、がんと妥協せず、ようやく支払らわせる。

 あいつとは二度と、お茶したくない と帰宅途中で思い、あまりいい気持ちにならなかった。

 こじらせた性格の持ち主って、寂しがり屋で 嫌われることを極度に嫌がる。でも、嫌われることは結構、えげつなくやるのである。また、いい根性の持ち主と思われていることも耐えられなく、常に誰かも好かれたいと矛盾に充ちているのだ。

 こういう輩は何を言ってもわからず屋さんで、近寄らないことが一番である。奴は こんな性格だったのか と分かったとき、お茶を一緒に飲んでいる常連になっている。この頃、体調が悪いなんて思ったら、周りの人々を見回した方がいい。悪魔がべったりと寄り添っているかもしれない

では、また・・