ゆでカエル世代の日記

1957~66年の間に生まれた世代です。

全ての食べものはカレーに収束されるべきなのだ

 食べものについてのうんちく話をラジオである日ラジオで聴いて、思わず、手を振り上げて、ガッテンをした。

 デパ地下、スーパーのお総菜コーナー、コンビニなどの食料品売り場など、では、何々風の食べもの(何々もどき・・)が目につく。

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 例えば、パンでは、メロンパンである。それに対抗して○○メロンパンもある。この二つのパンの違いは、メロンパンは果物のメロンでなく、まったく異なった物となっている。メロンパンを食すると、確かに匂いはメロン臭であるが、味はメロンの果肉とは異なった独自の道を進んでいる。メロンパンの表面には斜線がクロスしているが、メロンの表面皮とは非なるものとなっている。

 また、○○メロンパンなるものもある。これはもう各社のそれぞれの方向性があり、一つはまとまらずに、支離滅裂なベクトルで混迷な世界に突進してしまった。粗っぽい言い方すると、表面をメロンパン風に色を変えて、中身のクリームを甘く、メロン臭にすれば すなわち、○○メロンパンと化けてしまう。

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 ちょっとわかりにくかったかもしれない。今度はカレーでいう。

「カレー風」というキーワードを使うと守備範囲の大集団が控えている。カレー味によって、カレー集団は食べものの過半数と言ってもおかしくない。ちょっとオーバーな言い方かも知れない。

 カレー風の食べものは、カレーうどん、カレーコロッケ、カレーパン、カレー鍋、カツカレーなどエトラセラ・・。カレーは万能のツールで、カレーとどうにか混ぜてしまえば、食べられるモノとなってしまう。

 ある食べものでもう厭きた、何か食べるものはないかと考えると、そうだ、カレーがある。だから、カレーと組み合わせてしまえばどうにかなるのでは・・。そんな感じで

食べもの戦線は進んで行き着くと、カレー軍団は肥大化してしまった。

 ここで、カレーの拡大によって副作用、デメリットが発生した。今は飽食時代、カレー○○にはもう厭きた。カレー○○なんかもう厭きた。原点に返って、全てをカレーライスで治めてしまう、実に乱暴な話が沸々と出て来る。

 カレーライスを食べれば、そんな手の込んだことをしなくていいだろうという思想が広がっていくに違いない。つまり、カレー原理主義が蔓延するのだ。

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 一時期、スープカレーなんてこじゃれたものが流行った。泥臭いカレー系のフードが変化したのだ。このスープカレーによって、ますます、カレー原理主義が力づいてしまった。原点に帰れのスローガンを唱えて、原理主義は進んでいく。

なんかまとまらなくなってしまった。

では、また・・