ゆでカエル世代の日記

1957~66年の間に生まれた世代です。

葬式まんじゅうを2つに割る方法は?

 ガキの頃、友人二人と遊んでいると、カーチャンがニコニコしながらやって来て、差し出したものがあった。葬式まんじゅうである。この葬式まんじゅうはとてもおいしく、絶品モノであった。カーチャンは葬式まんじゅうをワタシに渡し、二つに割って仲良く食べるのよ と手を挙げながら去っていった。

 二つに割るんだとガキのワタシなりに考えたが、まったく思いつかない。ええい、いいや、二つに割ればいいんだろうとなんーも考えず、単純に2つに割って、はい、A君、食べよう、って渡して食べていたが、お互いにあっちほうが大きいと思っていながら、疑心暗鬼の世界にどっぷりと浸かり、食べていた。でも、葬式まんじゅうはおいしかった。

 もし現在だったら、どうやるだろうかなんて考えた。こんなことを考えるのはワタシが暇だからである。まず、A君(相手)に葬式まんじゅうを渡して、好きに2つに割ってと頼み、2つ割った葬式まんじゅうをどっちか選ぶのはワタシがやる。これなら、お互いが納得する感じで2つに割れる。

 もう一つの方法はものさし、または秤(重量測定)を用意して、2つに割るのだ。まずはものさしを使ってみるがうまくいかないだろう。円の直径を測って、直径割る2で2つに別ける。だか、完全な円状の葬式まんじゅうなどはないから不可能だ。では、重さで2つに割るしかない。つまり数値化することによって2で割る方法しかないようだ。こういうツールを使うとすぐに理系人間だとか、理屈人間だとか非難じみたことをよく言われる。理屈=理系という間違った方程式を掲げる人もたまにはいる。ワタシも一応理系人間だけれども、理屈で動くにほどの理論武装にしていなく、非論理的人間である。理屈なんかより、人の感情だなんてわめき散らす人間なのだ。

 こんなワタシでさえ、理性が勝っている人間になりたいと思うのだか、人間が未熟なのか、理性が働かず、つい感情だけが暴走する人間に陥る。

 理性で単純に2つに割ることができて、好き嫌いではなく、正しい間違いで判断できる頭脳、心を持ちたいと常に思っているが、どうしてどうして、これができないで、感情がモノの判断を染め上げてしまう。

 葬式まんじゅうの中身はアンでその周りは白い薄皮でできている。単純な構造である。そんなものについて語っているのだから、単純にえいと割り切ればいいのだ。どうしてもできない。なんか無理な結論に押し込んでしまった。

では、また・・