ゆでカエル世代の日記

1957~66年の間に生まれた世代です。

夏休みの小学生時代、学校主催の水泳教室が毎日あった(日曜日除いて)!

水泳教室が始まった

 もうそろそろ、小坊達も夏休みになる。そういえば、ワタシが小坊の時、夏休みは学校のプールで水泳教室があり、カーチャンはワタシが家にいるのが、目障りなのか、毎日、水泳教室に行かせる。朝から水着とバスタオルを用意され、昼食を取ったら、何が何でも行かせるのだ。そんな感じだから、出席率はクラスでダントツ、トップだった。

水泳教室のお手伝い係

 センセイはそこに目をつけて、6年生の頃、水泳教室のお手伝いに朝から学校へ来ないかと云われて、ワタシは夏休み、両親はどこにも連れてってくれない、だから暇を持てあましているので、行きますと言って、朝から夕方まで水泳教室の手伝いをしていた。手伝いの内容は水泳教室の出欠席のチェックをすること(参加者は少ないので楽である)、水泳教室をやっているとき、消毒剤(塩素錠剤)をプールに入れるお手伝い(勿論センセイの指示を受ける。よーく、プールに入ったとき、センセイはもしそこでおしっこをしたら、あまりが黄色になるクスリを入れたから、すぐにばれるよ。絶対、トイレに行ってねって言っていた。ワタシは本当に信じていたのだ。そういう訳だからセンセイはたまに水質を調べて、記憶によるが、キッドで色の変化を調べていた。話は変わるが、プールに入る時、シャワーを浴びて、腰だめ槽の中に中腰で入って体を消毒した。ゴーグルなんてない時代だから、目によく浸みていた。教室が終わると、目をよく洗っていた。その水が日差しで温かくなっていた。)。

 水泳教室はその頃、センセイの指導のもとで行っていた。ただし、ちゃんとした泳法の指導はできない。テキトーな泳法で泳ぐのである。センセイもちゃんとした泳法は知らないのだ。

 水泳教室が行っていない時間は自由にプールで泳いでいいのだが、毎日だと厭きてしまう。一日、海パン(学校指定水着・・スクール水着である)姿でいる。冷房なんてない時代なので、これで充分過ごせた。プールか、プールの脇にある体育館か、どちらかにいた。昼食は弁当持参だった。お手伝いに慣れてくるとやることがなくなり、楽しみと言えば、弁当を食べるくらいになってしまう。今なら昼寝をすればいいのだか、その頃、眠くはなかったのだ。

 お手伝い係はクラスから最低として2名出さなければならなかったのだが、ワタシのクラスは何故かワタシだけだった。水泳教室の出席率が学年で最低のクラスだったので、1名しか出せなかったのだろう。よそのクラスの小坊と一緒に組んでお手伝い係をした。ワタシと組んだ男子小坊は運動神経抜群、もう一人は運動神経抜群、プラス成績優秀(首席であった)である。三人組であった。

 女の子はお手伝い係はやらない。女の子の場合、6年生になるとお色気ぷんぷんの娘も出て来るので、何か問題があっては、大変だからと、やらせなかったのだろう。その時、クラスの好きな女の子がいたので、その娘と一緒にやっていたらなんて、暇の時は思ったりしていた。

水泳教室って

 午前のクラスは低学年で11メートル(プールの横幅)泳げれば御の字。午後のクラスは最低でも25メートルは泳げないとまずい。ここで、高学年なのに、25メートル泳げない小坊は通うクラスがないので、全休となり、落ちこぼれは救ってくれず、厳しい水泳教室であった。ワタシのクラスはほとんど25メートル泳げなかったので、出席率は悪くなるはずである。ワタシは自己流で泳げたが、大人になりスイミングスクールに通うまで、水泳にはいつも引け目を感じていた。

では、また・・