ゆでカエル世代の日記

1957~66年の間に生まれた世代です。

恐怖の水泳教室、夏休みはこれで潰される。

 夏休みを迎える終業式の時、センセーから一枚のプリント(わら半紙)を受け取る。夏休みの恐怖の水泳教室のお知らせである。夏休みの初日から水泳教室はあった。低学年だと、午前中、高学年だと午後イチ、1時から開始であった。着替える所は男子は体育館で、女子は教室だった。脱いだ洋服は体育館に置き放しだった。水泳教室に通う格好はランニングシャツ(下着)に半ズボン、麦わら帽子を被っていた。記憶があやうやだが、出席簿には学年、クラス、自分の名前を書き込んだ。泳ぐ格好は半透明の水泳帽と学校指定の海パンであった。ツベリクリン反応が初めて陽性の時は家で赤いボタンを水泳帽のてっぺんに付けなければならなかった。要注意の小坊となったのだ。

 夏休みのアドバイスのプリントも貰える。そのプリントには、午前中は夏休みを宿題をやりましょうと書いてあり、玄関に、只今勉強中 と札をつけて、遊びに誘う悪い友達を断りましょう、といい加減なことが書かれてあったことを思い出す。

 水泳教室は能力別クラスに分けられていた。何級であるかとわからせるため、色の着いている紐を水泳帽にカーチャンに縫いつけて貰い、それが目印となる。

 クラスは、10級 カナヅチ

       9級 1分間 水面で浮かぶことが可能  赤の紐 1本

       8級 7メートル、バタ足でもOK    赤の紐 2本

       7級 11メートル、バタ足でもOK   赤の紐 3本

       (プールの横幅が11メートルだった)

       6級 25メートル、クロール、平泳ぎ どちらか一種類

                           緑の紐 1本

       (泳法はメチャクチャ。プールの縦幅が25メートルだった)

       5級 50メートル、クロール、平泳ぎ 両方とも

                           緑の紐 2本

       4級 100メートル、クロール、平泳ぎ 両方とも

                           緑の紐 3本

       3級 背泳ぎ、バタフライ 各50メートル泳げること

                           黒の紐 1本

       2級 タイムが条件だった。ワタシには縁がなかったので、記憶はな         い。               黒の紐 1本 金の紐 1本 

       1級 2級より早かった。

 

 水泳教室、週の終わりに、強制的に昇級テストがあり、これが大変だった。水泳教室が終了してから、やるのだから、早く帰りたくても帰れなかった。ワタシは最高、25メートルしか泳げなかった。6級である。泳法はデタラメだったので、50メートルを息継ぎしながら、泳ぐのは無理だった。センセーも指導してくれない。ワタシはひねくれていたので、25メートル泳ぎ、そして、5メートル泳いだら、立った。だって、疲れていたから、無理だもん。でも、センセーはこの野郎、楽しゃがって と冷たい視線をテストを受ける度浴びていた。

 秋になると、校内水泳大会があり、25メートル泳げるので、クラス代表にさせられた。泳ぎが自己流なので、遅く、また、飛び込みがへたくそで胸打ちで、飛び込むたびに胸が真っ赤になっていた。

 校内で早い小坊は市内水泳大会出場選手に強制的に選ばれて、放課後、練習三昧の日々を送る。母校は強かったと記憶がある。ワタシは練習している小坊を眺めて、校庭で遊んでいた記憶がある。

では、また・・