ゆでカエル世代の日記

1957~66年の間に生まれた世代です。

日記は夏休み課題No1です。苦労したなあ。でも、人の日記は面白い

 夏休みの課題、小坊の高学年必修と言えば日記である。絵日記ですっかり懲りているワタシだが、学習効果もなく、また同じ事を繰り返してしまう。カアチャンに日記帳を前にして、書くことがないよう、と叫ぶ。カアチャンは まったく、絵日記の時と同じだよ。頭を使いなって冷たくあしらう。でも、カアチャンの脛にかじって、教えてくれ、と粘る。

 夏休み、旧のお盆の日にカアチャンは先祖供養のことでも書けという。お盆に帰ってくるご先祖さまについてはまったく知らない。えっと驚くと、またまたカアチャンはでっちあげの日記をメモして、ワタシに渡し、それを基にして書けという。でもねえ、なかなか筆が進まない。渋々、書いた。

 

命の尊ぶ気持ちを大切にして、ボクはお線香をあげました。

 

 これ以上書けず、日記に一行だけしか書かなかった。次の日からは

 

今日は何もありません。

 

 と毎日、この一言を行に埋める。

 日常の出来事を言葉で表すなんて力量はなく、何か出掛けて、非日常の出来事しか書けない。さらに非日常な出来事全て書ける訳ではないのだ。

 お盆のことが書けないとは我が子ながら情けない。このことだったら、書けるだろうと提案された。

 ボクは朝、早く起きて、家の前を掃除します。お父さんが会社に行く時、毎日、おはようと掃除をしているボクに声をかけ、行ってくるぞ と力強くボクに言います。毎日、お父さん、ボクたち、家族のため、ご苦労様と心の中で言います。明日は声に出して、言おうと思っています。

 これは、トーチャンとカーチャン、夫婦の「フェイク」である。夫婦ででっち上げるのである。

 まあ、日記帳のマス目を埋められるなら、何でもする。

 9月になり、始業式の日。日記帳をセンセーに提出した。一週間後、日記帳は返され、最後のページに小さく、二重丸が付いてあった。これは褒められたと思ったが、センセーは二重丸がついてある人は、日記をつける意義をもう一度考えてくださいと呆れた顔をして言っていた。

 我が家はどうも理想な家庭像をまったく夢のまた夢なのに、現実の世界として、書いてしまい、教育的指導を受けてしまう。妹の日記帳にも「フェイク」の日々の出来事が満ちあふれている。

 家庭訪問を受けているのだから、すぐにばれるのだが、どうも両親には分からないらしい。

 日記について、歪んだ気持ちがこじらせて、人の日記を覗くという悪趣味がたまらない快感を覚えてしまったのは、成人になってからだった。

 友人の家に行くと、テーブルの上に運転免許教習所日記と書いてあるノートがあり、ワタシ以外には誰もいない。興味本位でノートをめくる。車の教習の感想が書いてあった。友人のカアチャンが日記の主だ。

 こんなことでは合格できない。なんで、ここを曲がらなかったのか。口惜しい。明日、あるのだ。頑張ろう。今日はビールを飲んで、憂さ晴らし。

ワタシはページをめくる。次の日は・・

 今日、また同じ場所で失敗した。教官から叱責を受ける。ショックだ。もっと前向きにしなければ・・

 

 友人のカアチャン、友人には厳しい教育的指導をし、鬼軍曹と恐れられていたのに。ナイーブな心を持っていたとは。人間は外見ではないと思った。人の心の内を覗くって楽しいなあ!

 では、また・・