ゆでカエル世代の日記

1957~66年の間に生まれた世代です。

ムシムシしている頃、外に出掛けて、気づいたことは・・

歩いて、気がついた

 音楽を聴きながら、道は歩いていた。先を歩いている若い女性が急に立ち止まり、下を見ている。そして、彼女は踞り、アスファルトをじっと見詰めている。ワタシは少し、歩く速度を遅めて考える。彼女はどうしたのだろうか?具合が悪くなったのでは?いろいろ考えた。ワタシの後から自転車に乗ったオバサンが通り越す。更に、踞っている彼女の横をスピードをあげて通り抜けた。踞っている彼女は横から来る自転車の女をじっと見つめていた。その顔には苛立ちが見えてしまった。彼女はアスファルトに指を付けて何か探しているようだ。

 ワタシは何かを感じ、向かい側の歩道に行こうと思い、車道を通って向こう側の歩道に乗り換えた。ゆっくりと歩いて、分かった。彼女はコンタクトレンズを落として、慌てて探しているのだ。ワタシはこちらの歩道で歩いて、ほっとした。彼女の迷惑にならずに歩けるのだ。

歩いて、音楽について気がつく

 耳から入る音楽は昔の曲であみんの「待つわ」であった。久しぶりに聞くと あれっと驚く。良い曲だなあって今頃になって感じた。流行った当時も聞いていたが、そうは心の琴線に触れた曲とは言えなかった。

 今、どうして、こんなに感じたのだろうか。若い頃は曲を第一であった。これは洋楽の影響である。洋楽は何を言っているのかわからないから、リズムだけで理解しようとしていた。今は詩のほうを見るようになってきた。リズムが良くても、意味がわからなければダメだと今は言い切ることが出来るのだ。言葉が先行しなければ、歌は良く響かない。

 たぶん、年を取ったのだ。若い頃、演歌なんてと言っていた、その当時、カラオケは演歌しかなく、ニューミュージックは歌えなかった。演歌は追放なんて、乱暴な言葉を年寄りにぶつれていたのだ。無礼な奴だった。わたしは

ウォークマンの最初の頃の感動って!

 音楽を聴きながら、何かするっていうのが当たり前な現代と比べて、ウォークマンが出回った頃って、ウォークマンをかけて風景を眺めると、おおシネマだ、映画だ、と叫ぶ。自分の目がカメラとなって外観を写しているのだ。外の風景が音声も加わってくる。当初は感動モノだったけど、人は慣れると我が儘になる、こんなの当たり前だよねなんて思ってしまう。便利なものばかりに囲まれると、感覚が鈍くなってしまう。とは言え、一度便利なるものに、手を触れてしまうと、手放さないんだよねえ、人って・・

 では、また・・