ゆでカエル世代の日記

1957~66年の間に生まれた世代です。

小坊時代の通学路をわざわざ、ある日散歩したら、思い出した。

 小坊時代の通学路をわざわざ地元に戻って歩いてみた。数十年振りに歩くのだか、すっかり景色は変わり、新しく道は作られていた。小坊の頃は登校時は集団登校で、高学年(6年坊)になると絶対、班長になり、小1、2年生を騙し騙し、小学校へ連れて行かなければならなかった。

 班長は班の黄色の旗を毎日持たなければならない。しかし、旗を使ったことは一度もなかった。

 朝、集団登校の集合場所は決まっていて、その場所には黄色の看板が貼り付いている。時間になると登校するのだが、小坊だから、時計を持っていないから、時間は正確に分からず、全員、集まるとGOとなる。

 集団登校すると、遅刻はないのだ。班単位で行動するから、別に遅刻のおそれなんてまったく考えていなかった。(集団行動だからなのだろうかな?)

 元々、小坊の遅刻って何だろうか?班の集合場所に遅れることが遅刻なのか、それとも、小学校に着いて遅れることが遅刻なのか(教室に入った時の時間が肝心なのだろう)。

 小坊の時、集合場所に来ないからって、見捨てるわけにはならず、なかなか小坊が来ないと、誰か家までやって来て、安否を尋ねるのだ。遅刻は自己責任なんて世界ではなかった。

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 中坊になると学生服を着て登校する。集団登校ではなく、一人で登校する。実際は近所のダチと一緒に登校をしていた。ワタシの場合は一番最初で、まずA君の家に行く。5分位待って、また、今度はB君っちに行くのだ。それを3年間を続けたのだ。

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 高坊になると、ダチと一緒に行くってなかった。近所にダチがいても、別々だった。

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 小学校の放課後って、何をやっていたのか、急に思い出した。屋上でゴムボールで遊んでいた。校内放送で帰れコールが流れていても、無視して遊んでいると、センセイがメガホンを持ち出して、警官の如く、退去命令を執行するのだ。これは相手がヤバイと思って、不満タラタラで屋上からカバンを持って下駄履きに向かうのだ。センセイも校門を出るまで、根気よく見送る。これを月曜日から金曜日まで続けるのだ。(土曜日は午前中で終わる。給食がないので腹が減るから家に帰る)

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 屋上で遊んでいる前は校庭で遊んでいた。その頃は職員室(中坊の頃は教員室なんて名前を変更していた。センセイは面倒だなとぽつりとぼやいていた)から、メガホンで退去命令を言っていた。

 学校へ帰ってから、塾なんて、まだ小坊の頃はなく、(私立中学志望の連中(女子)は塾に通っていたらしい)遊んでいた。授業中はさえない小坊だったけど、放課後、休み時間は目が輝いていた。

では、また・・